「誰かの人生に名前が残る仕事をしたい」 人材開発課 リーダー 小田桐

fri

mid-career
「誰かの人生に名前が残る仕事をしたい」 人材開発課 リーダー 小田桐
演劇でプロを目指すも挫折。 その後、ハイブランドのトップ販売員、ブライダルプランナー、キャリアコーディネーター、セミナー講師と様々な業界での経験を基に人材育成、人材教育のプロフェッショナルとして活躍する小田桐さん。 新卒採用では多くの学生から、面談で非常に印象に残った社員として名前が挙がる小田桐さんの生き様と半生、今後目指すゴールについて聞いてみました!   ーまずはご経歴について教えてください! 元々10代の頃は劇団に所属してプロの道を目指していまして、老人ホームや児童養護施設などに出向いて歌ったり踊ったりしていました。 ただ芽が出なかったので、20歳頃にその道を断念しました。 ー初めての挫折ですか? はい。 大きな集大成ともいえる舞台があったんですが、その頃にたまたま腹膜炎の手術を受けまして、その影響もあって結果的に舞台に立てず、悔しい思いをしました。 その経験もあって、プロ意識みたいなものが持てなくなったんです。 ーなるほど…   その後別の職に就いたのですが、働いていない時期も一時期ありました。 その時に、以前よりお世話になっていた方と久々にお会いして。 ーはい。近況報告的な会話になりますよね? そうです。 それで、小田桐くん今なにしてるの?と聞かれまして、 私は、「何もしていないよ」と。 その瞬間、めちゃくちゃ怒られまして(笑) 「働ける年齢と体力があるのに働いていないとは人間のクズだ!」と。 ービシッと言われたわけですね。 はい、思いっきり。それで我に返りました(笑) 「自分は何をしているんだろう」みたいな。 その足で紹介してもらった人材派遣会社に行き、販売員として働くことを決めました。 ー新たな人生の始まりですね。 そうです。 伊勢丹新館(現在の伊勢丹メンズ館)の紳士靴売り場で働き始めました。 ーもちろん未経験ですよね? はい、もちろん未経験です。 でも、派遣社員ではありましたがやってみると向いていたのか、売上もかなり良かったんですよ。 ーおもしろいですね。 なんでなんでしょうね(笑) 各店舗からもそうですし、靴メーカー始めアパレルメーカーからも「派遣の販売員で凄い奴がいるらしいぞ」と噂が立っていたみたいです。 その頃ちょうど伊勢丹新館がメンズ館に生まれ変わるタイミングで、ラグジュアリーブランドの出店が多く決まっていたんですが、当時グッチグループだったセルジオロッシの代表からヘッドハントされまして、正社員として転職しました。 ーすごいですね(笑) ここでも販売員として働いていたのですが、当時世界トップの成績を残すこともできたんです。 ーなんでそんなことができたんですか? お客様に愛されていたんだと思います。 どんなお客様であっても顔とその時話した内容を確実に覚えていたので。 それは仮に商品を購入されなかったお客様であってもです。 あとはお客様のライフスタイルやシーンなどを把握して、それに合わせたご提案をしていたのが良かったんだと思います。 例えば、「最近スーツを作った」や「今度パーティーがある」、「海外旅行に行ってくる」など、ライフスタイルやシーンに合わせて、あれこれご提案していた感覚です。 小田桐1 ーモノを売るのではなく、体験を売れと言いますもんね。 そうだと思いますね。商品はあくまでも手段であって、お客様のライフスタイルをどう彩るかを考え、ご提案することが一番大切だと思いますね。 ーそんな世界トップの成績を叩き出された小田桐さんがなぜ転職されたんですか? いろいろな事情があったのですが、セルジオロッシが扱っていた商品の中のひとつでウエディングシューズがあったんです。 実際に購入されたお客様から挙式の写真などを見せていただいたり、当日のお話を聞くことも多くて、もっと人のライフステージに携わることがしたいなと思いましてブライダルプランナーに転職しました。 ーブライダルプランナーに転職ですか! はい、銀座のブルガリタワーでの挙式をアレンジしたいという気持ちもありました(笑) ー見事叶えられたんですか? はい、今でもご夫婦とは個人的なお付き合いをさせていただいております! ーここでも愛されキャラですね! ブライダルプランナーの仕事は大変楽しかったです。 ただ、会社の方向性と自分がやりたいことが一致しないことが出てきたので退職を決めました。 その後、今までの人生を振り返り、改めて自分の強みややりたいことを棚卸しました。 ーどんな答えが見えてきたんですか? 私は、人に関わる仕事がしたいという結論に至りました。 誰かの人生の記憶に残る仕事をしたい。 誰かの人生に名前が残る仕事をしたい。 誰かの会話のきっかけになりうる存在でいたい。 ー「誰かの人生に名前が残る仕事をしたい」ですか これが私の軸であり、働く意味ですね。 その後キャリアアドバイザー、キャリアコーディネーターを目指そうと思いまして、いろいろ調べた結果、アパレルに特化した人材紹介エージェントを受けようと決意しました。 ーライフプランに関わる仕事ですね。 そうなんです。 ただし募集要項を見ても年齢、学歴、必要経験など全てを満たしていませんでした(笑) ーそうなんですね!どうされたんですか? 募集している企業に片っ端から電話をして、応募可能かを確認しました。 その中で、ある企業の社長が面接においでと言ってくださり、次の日面接へ。 入社が決まり人材業界で働き出しました。 ー小田桐さんらしいですね!(笑) 入社した会社が結婚相談所も運営していて、キャリアアドバイザーをしながら並行してモテセミナーとかトータルコーディネート講座などのセミナー講師もしていました。 あとは、販売時代の経験や繋がりから販売員の接客に関する研修依頼が多々ありまして、アパレル企業や服飾系専門学校でも講師をやっていました。 ーキャリアの広がり方がすごいですね。 運と出会いだと思います。 ある大手アパレル企業から階層別研修やマネジメント研修をトータルでやってほしいとのオーダーもいただいて、研修講師としての幅も広がっていきましたね。 ー小田桐さんの軸である「誰かの人生に名前が残る仕事をしたい」に通じていますね。 そうですね。 誰かが私という存在を通して、自分の生きがいに気づいて変わっていく過程を近くで見ることにとてもやりがいを感じます。 研修中にも変わっていく方もたくさんいますので。 あー、自分はこんな存在になりたかったんだと思いましたね。 自分のつたない経験がいろいろな方の変化や、人生を彩るきっかけになったら良いなと。 ーやりがいから生きがいに変わられた瞬間ですね。 まさにそうですね。 SOUとの接点はいつあったのですか? 職種柄多くの転職エージェントに登録していまして、私のレジュメを見たエージェントから連絡を受けたのがきっかけですね。 ー第一印象を教えてください! 「リユース?ありえない」でした(笑) ーえー?なんでですか?(笑) 当時の率直な印象なので(笑) 元々ブランドサイドに長くいたので、リユース(二次流通)で買うという発想が受け付けられませんでした。 「リユース=転売」というイメージがあったので、ブランドサイドにいた人間からすると良いイメージを持っていなかったんですよ。   ーなるほど(笑)業務内容自体はどんなものだったんですか? 現在東京(銀座)と大阪(心斎橋)に店舗があるヴィンテージセレクトショップ「ALLU」の立ち上げでした。 当時SOUでは一般顧客向けの販売を行っていなかったので、このノウハウがある人材ということで声を掛けてもらいました。 具体的には販売店のブランド設計やコンセプト作り、接客を通してお客様に提供したい世界観を0から作る。 そのための育成・教育のなど全てをマネジメントする業務でした。 ー全然興味がなかったんですか? 始めはそうですね。 ただ、詳しく話しを聞いてみると内容自体は非常におもしろいと思いました。 一般的に考えると実現不可能に近いことを大真面目にやろうとしている感覚でした。 「は?できるわけないじゃん。」みたいな。 逆にそれが実現できたら販売員にとって夢のようなお店になるなとも感じて、ワクワクしてしまいました。 販売員は商品から見られている存在であり、商品は人を選ぶと私は思っています。ALLUは世界の超一流ブランドの中でも時代を越えて愛される銘品を商品として揃えるお店なので、こんなにもプロ意識が求められてお客様との関わりを深く持てるお店はないなぁと感じましたね。 ー当初の印象が変わり、リユース企業に入社しようと思えたのはなぜだと思いますか? モノの価値について新しい視点を持てたからですね。 例えばヴィンテージものって奥深いなぁと思いました。 世界にひとつしかないものですから、その中にあるストーリーみたいなものこそが価値なんだなぁと。 そういった価値観を大切にしている企業だったことは大きいと思います。 ーそれで入社されたんですね。 はい。一号店であるALLU銀座店のオープン初日は私も店舗に立って接客しました。 一人で1000万程度の売上を作ることができ、幸先の良いスタートにつながりました。 ーまたまた伝説を作られたわけですね。 これもまた運ですね。 その後はブランド買取専門店「なんぼや」の接客をはじめとするサービスの品質、根底にあるSOUの社員としてのマインドなどを育成・教育する業務を統括する人材開発課に在籍しています。 研修2 ー小田桐さんが大事にされているスタンスってどんなものですか? 一人ひとりの個性を一番に考えています。 自分らしさを最大限活かすため、ベースになるSOUの考え方を基礎にして、その上にそれぞれの個性を乗せていくイメージですね。 ー個性ですね。例えばどんなものがあるのでしょうか? 表現力などでしょうか。 その要素としてあげられるのが、語彙力などですね。 たくさんの人と会い、多様な考えに触れ、話したり聞く言葉によって表現力のレパートリーが増えていくと思っています。 ー「表現力」ですか。これまでで一番印象に残っている仕事って何がありましたか? SOUの大切にしている価値観や文化、思想をカルチャーワードとしてまとめるプロジェクトに参画したことですね。 いわゆるSOUのカルチャーを言語化して、「SOUってこうだよね」というものを形にするプロジェクトです。 例えば「そうきたか!をつくる。」を実現するためのベースとなる考え方や文化などを言語化するんです。 全員の思い描くイメージを集約してワードにするプロセスを何度も繰り返しながらひとつずつ決めていく。根本的な思想や方向性が一致していれば、その上にある個性は多様であってよくて。最終的に以下のようになりました。 カルチャーワード 今後もブラッシュアップしていくことが求められますし、新入社員だけでなく、既存の社員に対しても浸透させていくこともとても大切です。 これを担うのが我々人材開発課のミッションですね。 ー色々な業界や職種を経験された小田桐さんだからこそ感じるSOUの強みとはなんですか? 思想、文化だと思います。 会社って一般的に周りに自分を合わせていかないといけなかったり、周りに見せる自分を作っていくことが求められたり、時には偽らないといけなかったり。 SOUはそれが一切ないと思います。 ここまで個性を尊重してもらえる会社は今までなかったですね。 あとは何か新しく思いついたらとりあえずやってみる行動力とスピード感がすごいと思います。 なんかちょっと違うよねとなるとバッサリ切られることもありますが(笑) 自分たちが納得するサービスやクオリティでないと、お客様から選ばれるわけないよねというスタンスですね。 試行錯誤を日々続けながら、時に出てくる本物を育てる。 それが一見バカにされるようなことであっても、本物だけを大真面目に追求している会社です。 ある意味特殊な会社かもしれないですね(笑) それが常に驚きを与える「そうきたか!」を生み出せる源泉だと思いますね。 研修3 ー逆に課題を教えてください! 会社の成長スピードに社内の仕組みやマネジメント、人材の能力開発が追いつけていないところもあると感じています。 人材開発課は「人材あってこその仕組み」という思想でやっているので、人材のレベルをどんどん上げていくことが不可欠です。 前向きな議論ができる文化はあるので、もっと頑張らないといけないなと思っています。 ー本日はありがとうございました。小田桐さんの強さに触れられて良い刺激をいただきました こちらこそありがとうございました!  

We use cookies to give you the best online experience. By agreeing you accept the use of cookies in accordance with our cookie policy.

Privacy Settings saved!
PRIVACY SETTINGS

When you visit any web site, it may store or retrieve information on your browser, mostly in the form of cookies. Control your personal Cookie Services here.

Decline all Services
Accept all Services